日本ではA型フォードという呼び名のほうが通っているでしょうか。ホットロッドのベース車としても有名かも知れません。
フォードモデルAは、かのモデルTの後継車として1927年に登場し、31年までにおよそ500万台が生産されました。実はこのA型フォード、なんと日本でも造られていたことがあったってご存知でしたか。当時は横浜の子安に、フォードの生産工場があり、そこで20万台程度の右ハンドル・A型フォードが造られたと言います(当然、その前にはT型フォードを生産していました)。ちなみに、アメリカ国内のほか、ヨーロッパやロシア、オーストラリアでも造られていました。
モデルAの車体構造はとてもシンプルであったため、実に様々なボディバリエーションがあったことも特徴です。最も安価なロードスターから、セダン、フェートン、ステーションワゴン、トラック、パネルバンまで、実に多くのスタイルが存在しました。アメリカにはモデルAだけの博物館も実在しており、そこに行くと、常用タイプから商用タイプ、スクールバス、果てはタンクローリーまで、信じられない種類のモデルAを見ることができます。実用的で合理的な設計であったからこそ、それだけのバリエーションが生まれたのでしょう。
西川淳の、この個体ここに注目! |
日本では非常に珍しい、モデルAのオープンキャブ(ロードスター)・ピックアップの登場です。
現オーナーは、このスタイルにヒトメボレし、アメリカでレストア済みの個体を見つけてオーダー。アメリカで受け取り、そのまま“グレートレース”に参戦し、10日間4000キロに及ぶラリーを完走後、日本に持ち帰ったという個体です。日本に持ち帰ってからも、有名クラシックカーショップで入念に整備をウケ、現在、ほぼパーフェクトなコンディションで日本のナンバーを取得しています。
実をいうと、ボクもこの個体とともに、グレートレースを戦いました。ラリー中、アメリカで感じるぶんには頼りないぐらいに小さなクルマだと思っていたものでしたが、こうして今、日本で見てみれば、それなりに大きくて驚いてしまいます。日本で見る戦前のクルマというと、たいていはラリーで見かけるヨーロッパのスポーツカーですから、もっと小さいんですね。なるほど、これは確かに、当時のアメリカ車フルサイズです(笑)。
驚いたのが、そのパフォーマンスの高さ。とてもじゃないけれど、90年も前のクルマとは思えません。乗り心地は想像以上によく、高速も時速90キロくらいは楽勝です。コーナリングスピードだって悪くない。実際、その直前にミッレミリアで走ったブガッティT40よりも、助手席で感じる限り、クルマはしっかりしていた。戦前にもう、このようなクルマが生まれていたわけですから、アメリカ車を侮ってはいけません。
グリーンに黒、イエローのホイールという組み合わせは、モデルAでは有名なカラーリングのようです。実際、とてもよく似合っている。アメリカのクラシックカーイベントでもよく見かけるコンフィグです。
ピックアップトラックでありながら、2シーターのオープンカーであるというあたりが、いかにもアメリカ的ですね。当時の農夫にとっては、このスタイルが最も便利だった、ということなのでしょうか。オーバーオールのデニムがとても似合いそう!
グレートレースでは、行く先々で大歓迎を受けました。日本人ふたりが乗っていると知れば、さらに拍手喝采で。日本でも、このままクラシックカーイベントに出場すれば、注目度という点で、欧州の名スポーツカーにもひけを取らないと思われます。
荷台にヘイベール(干し草俵)のクラシックな農機具あたりを積みこみ、デニムかウールのオーバーオールを着込んで、イベントに参加する。それくらい洒落っ気のある人に、乗って欲しいものですね。
年式 | 1928年 |
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初年度 | 2018年1月 |
排気量 | 3,286cc |
走行距離 | |
ミッション | 3MT |
ハンドル | 左 |
カラー | グリーン |
シャーシーNo | |
エンジンNo | |
車検 | 2021年(R3)1月 |
出品地域 | 東京都 |
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