1950年代、マセラティは開始当初のF1に250Fを、またFIA世界スポーツカー選手権には250Sや300Sといったマシンを投入し積極的にワークス活動を行っていました。しかし、財政難により1957年シーズンをもってワークスチームの撤退を余儀なくされます。
その当時、最後のワークスマシンとなったのが、1957年シーズンに投入されたティーポ54こと450Sでした。エンジンは新設計の4.5リッターV8で、最高出力は400HPを発揮。ファン・マヌエル・ファンジオやジャン・ベーラ、スターリング・モスなどそうそうたる顔ぶれによってドライブされ、その年のセブリング12時間とスウェディッシュGPで勝利しましたが、翌年からスポーツカー選手権のチャンピオンシップが排気量3リッター以下へと制限され、マシンは米国などに転売されます。プライベーターとしては1962年までレースに参戦し、総生産台数はわずかに9台とも10台とも言われています。
ここに紹介するのは、その450Sを忠実に再現したレプリカです。伝聞するところによると、本物を所有する富豪がプライベートなレース用にとコーチビルダーに製作依頼をかけ、マセラティ社の公認のもとでつくられたようです。本物と同様に、パイプフレームとハンドメイドによるアルミボディを組み合わせ、エンジンは、1960年代のマセラティメキシコ用4.2リッターV8(260hp)を搭載しています。このレプリカの生産台数も本物と同様に9台(もしくは10台という説も)で、世界に現存するのは6台、日本にはこの1台のみと言われており、いわずもがなの超希少物件です。
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現オーナーは約10年前に、日本でも有数の自動車愛好家として知られる人物からこのクルマを入手したそうです。手を入れたのはエンジンまわりで、エンジン上部のエアファンネルをハイトの高いものに換装。またそれによる干渉をさけるため大型のバルジをFRPで制作したそうです(ノーマルのアルミ製も手元にあり)。またマフラーはオリジナルはスチール製ですが、特注のステンレス製になっています。現オーナーが3度作り変えてようやく納得するものができたと話すように、美しい溶接跡などに職人技が見てとれます。メンテナンスは、もとトヨタ系のレースメカニックが営むレーシングガレージに依頼しており、およそ2年前の車検時には、足回りやブレーキをオーバーホールしたことで、制動力もしっかりと向上したそうです。
走行距離計がついていないため、正確な走行距離は把握できていませんが、年に1,2度のクラシックカーイベントのときのみ使用。ひととおりメンテナンスも終え、マシンの調子はとても良好なようですが、現オーナーは還暦を迎えたこともあり、断捨離のために手放すことを決意したといいます。そして、こんなふうに話していたのがとても印象的でした。
「この450Sには10年間、とても楽しませてもらいました。こういうクルマって後世に受け継いでいくべきものですから、いい状態で次のオーナーの方にバトンタッチすることができればと思っています」
年式 | 1982年 |
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初年度 | 1994年6月 |
排気量 | 4,130cc |
走行距離 | |
ミッション | 5MT |
ハンドル | 右 |
カラー | レッド |
シャーシーNo | AM107412 |
エンジンNo | |
車検 | 2019年(R1)12月 |
出品地域 | 静岡県 |
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