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メルセデスベンツ300SLクーペ&ロードスター
CARZY MAG
CZMG19

The SOUL of Supercars - MERCEDES BENZ 300SL COUPE & ROADSTER

メルセデスベンツ300SLクーペ&ロードスター
words / Jun Nishikawa

元祖スーパーカー、300SL クーペ&ロードスターに乗る!

スーパーカーとは何か。その定義は難しい。“ない”と言ってもいい。逆にいえば、どんなクルマでも、ある人にとってのスーパーカーになりえる。広義でいえばそれは、特定のある誰かにとって、移動の手段/道具としてのクルマを“超えた”大切な存在、であるだけでいい。
とはいえ、われわれ自称“スーパーカー好き”がスーパーカーを語る場合には、もう少し範囲を限定し、一定の前提条件のもと、語ろうとしているはずだ。
例えば、ランボルギーニ、フェラーリを中心とした稀少・高額・高級・高性能スポーツカーの一群。時代の最高技術を惜しみなく投入して高性能を実現し、そのことをカタチの上でもユニークかつ美しく表現しえたクルマたち。
派出なスタイリングに爆音エグゾースト、も重要な要素のひとつかもしれない。ポルシェ911ははたしてスーパーカーに数えていいのかどうか、といったディテールの議論はさておき、要するに、周りから羨望の眼差しをイッキに集める力をもち、そのことをオーナーがひしひしと感じ取れる存在、が、スーパーカーと言って差し支えないだろう。
それでもまだ各々のスーパーカー像には微妙な違いもあるだろう。例えば私の仕事場/東京都港区と私の自宅/京都市左京区、そして私の故郷/奈良県葛城市とでは、同じクルマを並べてみても全く違う反応がかえってくる可能性が未だ残されていて、やっぱりどう決めようとも人の気持が介在するかぎり、絶対的な定義にはならないのだが、まあ、キリがないので一旦そういうことにしておく。
メルセデスベンツ300SLクーペ&ロードスター
メルセデスベンツ300SLクーペ&ロードスター
さて。ここからが本題だ。そんなスーパーカーの原点は、いったいどこに求められるだろうか。
私などはスーパーカー原理主義者だから、60年代半ばから80年代半ばまでの20年間に生産されたミッドシップの2シータースポーツカー、とさらに限定して語ってしまうため、その原点はたとえばフォードGT40マーク3、ということになったりする。フロントエンジンフェラーリの12気筒を倒したGT40は、ミッドシップ=高性能=高付加価値という既成概念を打ち破るスーパーカー戦略の源となった。
そこまで限定せず、前述したスーパーカーの定義に沿ってその原点を探せば(ただし、ある意味スポーツカーのみならずすべてのクルマが“スーパー”な存在であった戦前をひとまず忘れて)、戦後現れたひとつの名車に行き当たるはずだ。
それが本稿の主役、メルセデスベンツ300SLである。つまり私にとって、スーパーカー界における形而下の原点がフォードGT40だとすれば、形而上的にはM・ベンツ300SLが原点、というわけなのだった。
レーシングカー直系の性能。それを可能とする、最新のエンジン技術とシャシー/ボディ構造。そして、その結果としての素晴らしいガルウィングスタイル。機能的だが豪華さも散りばめられたインテリア。織り重なった数々のヒストリー…。
300SLがスーパーカーの元祖であることを説明するには、もうこれくらいで十分だろう。これ以上このクルマのスペックや成り立ち、歴史をここではあえて振り返らない。あまりにも有名なモデルであるし、文献も豊富だ。なにより、日本にも元気な300SLが数台棲んでいて、各種クラシックカーイベントで元気な走りを見せてくれる。その気になれば本国のミュージアムやクラシックセンターにでも行って、その魂を間近で感じることもできよう。
贅沢にも3台のロードスターを従えたクーペ=ガルウィングは、ひときわ神々しく輝いてみえた。
同じ300SLであっても、ロードスターが2 シーターオープンという性格上、現代にも存在しうるスポーツカーとしてフレンドリーにさえ見えてくるのに対し、二枚のドアを跳ね上げ、正にこれから飛翔せんとする鴎の如く佇んだガルウィングには、ある種の異様さというか、ありていの人々が近づくことを拒むかのような得体の知れぬオーラに包まれてさえいる。歴史の重みゆえ、このクルマにまとわりつく空気そのものに、他とは違う成分が溶けだしているかのようだ。
高いサイドシルに気を取られていると、ドアの縁に額をしたたかにぶつけてしまう。これは最新のSLSAMGでも同じだから、特に注意されたい。
右足→尻→左足の順で小さなキャビンに滑り込む。一旦中に収まってしまえば、暑いが、さほど窮屈ではない。大きな十文字ハンドルも、細く見通しがいいから邪魔にならない。
よく整備されたエンジンが、キーを捻って一発で目を覚ました。
ババァン、バッバッバッバッバッ。
ハンドル以外、すべてが小振りな操作系をひとつひとつ確認し、スイッチひとつひとつの重みに感動しつつ、右手でシフトレバーの、左足でクラッチペダルのそれぞれ動きを確認しながら、息を整える。どんな名車に試乗するときもそうなのだが、走り出す直前の、この一瞬の期待と緊張がたまらない。逆にこれを感じさせないクルマは名車でもなんでもない。いわんやスーパーカーをや。
走り出す。その先にあるものは、一個のクルマとして純粋に存在し走り続けているということ、ただそれだけである。運転するに難くはない。むしろ、後のスーパーカーたちに比べれば、拍子抜けするほどフツウである。今日で言うところのベンツらしい鷹揚さと密度の濃さまで身につけている。それでいて、既に速い。もう十分に、速い。
メルセデスベンツ300SLクーペ&ロードスター
メルセデスベンツ300SLクーペ&ロードスター メルセデスベンツ300SLクーペ&ロードスター
現代に乗ってフツウだと思えることを、メルセデスが半世紀以上も前に実現していたということにこそ、驚かなければならない。そして、60年経った今でも現役に数えていい性能の持ち主だったからこそ、半世紀前には世界最高峰のパフォーマンスカーとして、すなわちスーパーカーとして君臨し、翻ってメルセデスベンツのイメージを大きくエモーショナル方向に転向せしめた。そのことが意味するところを、もう一度、注意深く思い出しておきたい。
このクルマには、自動車が人に感動を与える本来のモノ、すなわち振動や雑音や匂いや見栄えといった味覚以外すべての感覚を刺激するピュアな何かが備わっている。そんなそれぞれがいくつものパーツに宿った結果、一台のスーパーカーを構成し、乗り手に訴えかけてくる。われわれは、アクセルペダルを踏みしめながら、そのひとつひとつを拾い上げ、噛み締め、発散するのだ。それこそが、クルマを運転する楽しみなのだという実感に大いに満たされつつ…。
スーパーカーの原点は、同時にクルマを運転する楽しみの原点でもあった。そこにはまた、モータースポーツからの意思と情熱の引き継ぎが厳然とあって、それを起点にして後、コンペティションGTカーやミドシップエキゾチックカー(西川のいうスーパーカー)が生まれてくる。
スポーツカー/スーパーカー/レーシングカーは、人々の欲望の輪廻よろしく、その歴史において、時代の流れに翻弄されつつも、要素の出し入れや情報のやりとり、技術の相互利用を続けてきたのだった。
そう。たとえば300SLガルウィングのソウルが、半世紀の様々なストーリーを経て、SLS AMGとして現代にいっそう色濃く、そして鋭く立ち現れてきたように…。
※記載されている内容は取材当時のものであり、一部現状とは内容が異なる場合があります。