「オレが望むクルマを作ることのできる場所、それはイタリアしかない」。
1955年、ホラチオ・パガーニはアルゼンチンで生を受けた。十代のはじめには、もうすでにスクラッチビュルトで好みのクルマの模型を造り出していたという。十代の後半にエンジニアリングやカーデザインを本格的に学びはじめ、二十代にはひとりでスタジオをたち上げた。キャンピングカーや家具のデザイン、レーシングカー製作など、すでにその異才を発揮しつつあった若者は、冒頭のように決心したのだった。
そして、1983年、ホラチオ28歳の年。単身、故郷を離れて、イタリアはスーパーカーの聖地、エミリア・ロマーニャ州を目指す。そこは、マセラティ、フェラーリ、ランボルギーニを生んだ、スポーツカー奇跡の地でもあった。