2019年7月の生産終了の発表が記憶に新しい、フォルクスワーゲン(以下VW)・ビートル。ただ、車名にビートルの名前がついたのは、そのデザインをオマージュした2代目、3代目のみで、初代は世間が名付けた愛称。正式な車名はフォルクスワーゲンの後に排気量や記号を表す数字や文字が入る何の変哲もないものです。
その起源はドイツ・ナチス政権のアドルフ・ヒトラーが掲げた「フォルクスワーゲン(ドイツ語で国民車の意)構想」で、その構想は家族4人が乗車可能/巡航速度100km/h以上/低燃費かつ低価格/整備性に優れ、頑丈で壊れないことなど厳しい条件が掲げられました。設計を任されたポルシェの創業者であるフェルディナント・ポルシェ博士は、この難題を解決し、1938年に初代ビートルの原型である「kdf(カーデーエフ)ワーゲン」が誕生しました(ボディタイプは2ドアセダンとカブリオレの2種類が当初から用意)。ただし、第2次世界大戦が勃発したことで、この国民車構想は量産直前で休止となりました。
止まっていた国民車構想の針が再び動き出したのは、戦後間もない1945年のことでした。連合軍でVW工場の管理を任されていたイギリス軍将校アイヴァン・ハーストが、工場を修復し、自動車生産を再開。これが、フォルクスワーゲン・タイプ1の誕生でした。
上記の厳しい設計構想をクリアしたタイプ1は競合他車種よりも抜きんでいた高い基本性能と流線形の愛らしいフォルムと相まって、マーケットで高い評価を得ることになり、爆発的なヒットを記録しました。さらには本国ドイツだけでなく、ブラジル、メキシコでも現地生産が始まり、我が国日本へも1952年、ヤナセの手によって輸入が開始されるなど、タイプ1の人気は世界規模で拡大。1964年には早くも累計生産が1000万台を超え、タイプ1のシャシーをベースとした派生車(タイプ2、カルマンギアなど)も数多く登場し、当時のVW躍進はまさに破竹の勢いと言えるものでした。
世界の国民車ともいえる地位を得たタイプ1でしたが、その人気の高さが仇となり、VWは後継車両の開発が難航していました。1960年代に入るとライバルの新型モデルに比べ、設計の古さ、RR方式のパッケージ、空冷エンジン(OHV)の騒音などの悪癖が目立つようになります。VWも排気量を当初の1リットルから段階的に1.6リットルまで拡大、オートマチックの投入、1971年モデル以降はサスペンションを大幅刷新するなど、相次いで様々な対策を講じますが、劣勢の改善にまでは至りませんでした。1974年の初代VWゴルフの登場により、ようやく主力車種としての役割をバトンタッチし、1978年にドイツ本国での製造は終了することになるのですが、メキシコ(一時期はブラジルでも)では長期量産による低価格が長く支持され、2003年まで生産が継続されました。これにより、メキシコ本国の国民車としてだけでなく、「新車のビートルが買える」とクラシックカーとして世界で一定の人気を得ることになります。
1945年から2003年まで単一車種として半世紀以上に渡り生産され、累計生産台数約2153万台(日本での正規輸入は8万台強)という初代ビートルの記録は、今後も語り継がれる自動車界における金字塔であることは間違いないでしょう。
山崎真一の、この個体ここに注目! |
ヤナセ物(西ドイツ製)としてはほぼ最終型に近いVWタイプ1。1976年モデルはフロントサスペンションがストラットに改められ、エンジンもタイプ1最大の1.6リットル+機械式Kジェトロニック仕様となるなど熟成が図られています。コレクタブルカーとしての人気は初期型に及びませんが、クラシックカーの気難しさを感じさせず、今なお日常の足として使える性能を兼ね備えているのが美点です。この個体は長い間1人のオーナーに愛され、親戚がそれを譲り受け、その後、現オーナーが購入した3オーナー車。走行距離は11万kmを超えていますが、エンジンは絶好調で、軽いクランキングで目を覚まし、一定の回転で雑味のないメカニカルノイズを聞かせてくれました。唯一リアのドライブシャフトからオイル漏れが見られましたが、これは交換しての引き渡しとなります。シートもサポート部に擦れは見られるものの、汚れも破れもなく、クッション性も残っていました。リアシートはほとんど使用感はありません。ダッシュボードも色褪せは見られるものの、割れなどは見られず、40年以上前のクルマとしては上々の部類に入るのではないでしょうか。
ただ、残念なのは長期間屋外で放置されていた期間があったため、ボディは広範囲にわたって錆による腐食や塗装の割れが点在しています。一部はボディ内側まで侵食しているため、本格的にレストアするには相当費用が掛かることが予想されます。「初めて見たときは、錆に侵食されているボディを見て、[これはダメかな]と思ったのですが、エンジンやフロアが思った以上にしっかりしていて、内装もキレイ。履歴もはっきりしていましたので[このまま潰すにはもったいないな]と思い、譲り受けました」と現オーナー。コンクールコンディションを求める諸兄姉には完全にハズレですが、コレクタブルカーを下駄代わりに使い、時間をかけて傷んだボディをファッション感覚で楽しめる人(実際にあえてジャンク感やヤレ感を出すカスタマイズは存在する)にとって、この個体は非常に魅力的に移るはずです。
大規模なレストアを施して大切に保管するのではなく、あえて自分色に染めながらガンガン使うカスタマイズ派に購入いただきたいと思います。
年式 | 1976年 |
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初年度 | 1976年7月 |
排気量 | 1,584cc |
走行距離 | 111,266km |
ミッション | 4MT |
ハンドル | 右 |
カラー | 白 |
シャーシーNo | 1162143492 |
エンジンNo | |
車検 | なし |
出品地域 | 大阪府 |
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