オープン2シーターのスポーツカーとして60年代に大人気を博したSP&SR型フェアレディ。その後継モデルとして開発されたのがフェアレディZ(S30)だった、と言う表現は必ずしも正解ではなさそうです。もちろんSRフェアレディにとってのメイン市場は既に北米だったわけですが、早々にモデルチェンジしろという経営陣からの指示はなかったといわれています。つまり、最初から後継モデルとして開発されたわけではなかった。
海外マーケットで人気のスポーツカーとはいったいどういうものなのか。次世代のカッコいいスポーツカーとは何か。そんな、言ってみれば自主課題を日産のデザイナーが掲げ、ごく少人数で始まったプロジェクトだったようです。
60年代後半といえばデザインやテクノロジーの新たな知見が欧米から押し寄せた時代でした。極秘裏にデザインされた独自のスポーツカー案に、アメリカ市場から届いたエールと、当時の経営陣が欲した高性能6気筒エンジンを搭載するフェアレディという要請をエンジニアが受け止めた結果、後にフェアレディZ(輸出名ダットサンZ)と呼ばれる不世出のGTスポーツカーの正式な開発が始まったと言えるでしょう。
1969年のデビューから78年まで、およそ10年間の間に約53万台が生産され、そのほとんどが海外市場、なかでも北米マーケットで販売されたといいます。70年にかの地で販売が始まったときにはディーラーに注文が殺到し、納車待ちの列はすぐさま半年以上にもなったそう。日本国内での生産も増強されましたが、それでも最初の4年間ほどはその8割をアメリカに輸出していたというから驚くほかありません。今なお“ダッツン・ズィー”の愛称で多くのスポーツカーマニアから親しまれています。
搭載されたエンジンは基本的にL型の直6SOHCでした。日本仕様としては2リットル(L20)のZ(4MT)と装備充実のZ-L(5MT)というノーマルグレードに、唯一L型ではない名機S20型の2リットル直6DOHCエンジンを積んだZ432(4バルブ・3キャブ・2カム)という合計3グレードがデビュー当初から用意されることに。70年にはノーマルモデルに3AT仕様が追加され、71年にはエアロダイナノーズ(グランドノーズ、通称Gノーズ)を装着した240ZGをはじめとする240Zシリーズ、そして74年にはホイールベースとルーフを延長し+2シーターとした2by2モデルが投入されました。ちなみにZ432と240ZGは国内専用モデルで、今では日本車を代表するコレクターズアイテムとしてその名を世界に馳せています。
一方、アメリカ市場向けとしては2.4L(L24)のダットサン240Z(4MT、のちに3AT追加)に始まり、2.6Lの260Z、2.8Lの280Zへと進化しましたが、大人気ゆえかえってグレード構成はシンプルなものに終始したといいます。
アフリカのサファリラリーやアメリカのSCCAレースなどモータースポーツでの活躍もあり、フェアレディZは一躍、世界中の若者たちの憧れとなります。ポルシェなど世界の名スポーツカーに比べてずいぶん安価だとは言われましたが、デビュー当時の日本における価格は大卒初任給のおよそ20倍、Z432に至ってはさらに倍の40倍という価格設定ではありました。
西川淳の、この個体ここに注目! |
熱狂的なS30Zマニアの現オーナーが調べたところ、1970年3月というごく初期に生産された北米市場向けの左ハンドルモデル、すなわちダットサン240Zです。
アメリカで研修していた頃にフリーウェイを行き交うぼろぼろのダッツン・ズィーに改めて惚れ込んだという現オーナー。帰国後の1999年に日本の有名ショップでこの個体に巡り会いました。ほぼ30年間をロサンゼルス近郊のオーナーの元で過ごしてきたというオリジナル度の高い個体だったため、フルレストアして乗り続けることを決意。現在に至っています。
オリジナルにこだわる現オーナーゆえ、この個体も貴重な初期型の特徴をほとんど完璧に残しています。違いといえばボディカラーとタイヤ&ホイール。元々この個体の色は初期の2年間のみ、しかも輸出仕様にしか設定されていなかった「ユニバーサルブルー」(カラーコード903)でしたが、日本の紫外線の元で見るとあまりに地味だったため、R34スカイラインGT-Rに採用された現オーナーお気に入りの色「ベイサイドブルー」にペイントしてもらったと言います。
また、タイヤ&ホイールについてはノーマルサイズのタイヤとスチールホイール&Dマーク付きホイールカバーも付属します。70年代に流行ったスタイルのアロイホイールをそのまま楽しむもよし、オリジナル状態に戻すもよし、ついでに元色にリペイントするもよし。その他は完全にオリジナルコンディションと言ってよく、なかでもユニークなメタリック調のインテリアは貴重です。シートとドアトリムはレストアされたものですが、その他は当時物なのだそう。
詳しい仕様とセールスポイントに関しては、オーナーからの“ダイレクトレポート”コーナーを参照ください。あたりをさっと試乗してみましたが、エンジンの目覚めもスムースで非常に乗りやすく、またボディやアシもしゃきっとしていました。当面、何の不安もなく乗っていけそうな感じがひしひしと伝わってくる。現オーナーの手入れが行き届いている証拠でしょう。
注目したいのは、この個体、過去になんと三度も太平洋を往復した経験があるということ。一度目はもちろん新車で輸出され日本へ逆輸入されたとき。そして二度目(2000年)と三度目(2004年)は現オーナーの手によって毎年アメリカで開催されているZCONに参加したとき。その二回ともオリジナルコンディションの高さが認められコンクールでクラス優勝を獲得しています。
ちなみにボディカラー903とブルーインテリア(輸出向けは黒と茶、青があった)の組み合わせも相当にレアなのだそう。ダットサン240Zといえば過去のオークションでHLS30-04684という1970年4月生産の緑ボディ×茶内装の個体が、奇跡のプリザベーションということもあってか31万ドルで落札されています。Z432Rを除けば史上最高額となりました。初期型のレアカラーコンビであるという本個体もまた将来に向けて大きな魅力の持ち主だと言えるでしょう。
ダイレクトレポート: 現オーナーが語る、この個体の魅力! |
初期型の特徴がしっかりと残されていることが、この個体最大の魅力です。列挙してみましょう。
・エンブレムがすべて金属製
・2つのエアアウトをもつレットテールゲート
・240Zと入ったCピラーエンブレム
・初期型用D文字純正キャップとタイヤ付きスチールホイールも付属
・2400OHCの文字があるエンジンカムカバー
・センターコンソールにチョークレバーとハンドスロットルレバーがある
・プラスチック製工具カバーが背もたれ後ろにある
・穴なしスポークのステアリングホイール
・日除けのない平らなマップライトカバー
・シンプルな3枚ルーバータイプのセンターエアベント
・初期の2年間のみ設定されたブルーインテリア
・シートバックサイドのシートベルトフック
・クロームメッキで洒落た丸型のコートハンガー
・脚長の美しいデザインをもつ室内ミラーのステー
・オートチューニング式AMラジオ
アメリカ向けは車体番号プレートにエンジン番号の記載が義務付けられており、本個体のL24エンジンはもちろんマッチングナンバーです。E31型ヘッドは初期型のみ圧縮比9.0:1と高めの設定でした。翻って1971年10月に登場した日本仕様の240Z/ZG用L24エンジンはE88型で、圧縮比は8.8:1となっています。つまりエンジンカムカバーに2400OHCと入った E31型L24は国内仕様には存在しないエンジンなのです。ミッションは4速のF4W71Aで、ワーナー型シンクロを採用しました。のちに日産車の主流となるタイプです。リアデフはR180のギア比3.364で、4速2500rpmで60マイル(100km/h)クルーズできるように設計されています。
私はネジ一本からホースバンドに至るまで、とにかくオリジナルでないと気が済まないタイプです。全ては飾りではなく、機能してこそのクルマですから、見えないところもオリジナルにこだわりたい。
走ってもオリジナル、触れてもオリジナル、スイッチを入れたらオリジナル。小さな照明から8トラの操作まで動くべきものが動かないという点が何処にも見当たらないよう仕上げています。つまり、旧車にありがちな残念ポイントがありません!シートベルトのTAGやプラスチックのカバー、傷んでポイっと捨てられてしまいがちな部品もすべて正しくそこにあります。車載工具もしかり。今回出品した4台はすべて、オリジナルであることを最大限に楽しみながら乗ってきた思い入れのある個体ばかりです。
年式 | 1970年 |
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初年度 | 2000年4月 |
排気量 | 2,393cc |
走行距離 | |
ミッション | 4MT |
ハンドル | 左 |
カラー | ブルーメタリック |
シャーシーNo | HLS30-02156 |
エンジンNo | L24-005562 |
車検 | なし |
出品地域 | 奈良県 |
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