通称“ヨタハチ”。あまりにも有名なこのスポーツカーは、ある意味、日本の自動車産業の夜明けを象徴する存在だと言っていいでしょう。
開発をリードしたトヨタの長谷川龍雄といえば、初代パブリカや初代カローラといった正に“国産大衆車の幕開け”を世に送り出した人物であると同時に、もともとはといえば立川飛行機で軍用戦闘機を設計するエンジニアでした。
そう考えると、タルガトップ構造のモノコックボディを持つヨタハチの、時代離れしたエアロデザイン=ちょっと戦闘機的、にも納得のいくことでしょう。ルーフやボンネット、トランクにアルミニウムを使うなど、軽量化にも注力しました。
そもそも、市販を前提には設計されておらず、それゆえ、次世代モデル開発(初代カローラ)がスタートするまでの合間に、パブリカをベースとしたスポーツカーを造ってみた、という習作のつもりであったそうです。この時代は、優秀なエンジニアがそんな風にして“造ってみた”クルマが、大いに評価されて市販車プロジェクトになるといったことが、往々にしてあったのでしょう。習作、転じて、秀作となる、というわけですね。
戦後、飛行機設計の許されなくなった日本の優秀な航空技師たちが、こぞって、国産自動車の開発に勤しんだという歴史を象徴する一台だと言っても過言ではありません。
全長わずかに3.5m。今で言えば、軽自動車より少し長い程度。幅や高さは軽の規格に収まっています。排気量は、パブリカ用空冷対向2気筒OHVから+90ccの約800ccで、名前の由来と重なります。SUツインキャブを備えるなどしてパブリカよりもパワーはありましたが、非力であったことは否めません。けれども、それを軽量車体と空力の良さでカバーした。燃費の良さはライバルの及ぶところではなく、そういう意味でも実に国産スポーツカーらしい存在だと思うのですが。
デザインのオリジナリティの高さ(設計時に2000GTとの関連はありません)も併せて考えれば、今後、トヨタを象徴するスポーツカーとして、2000GTと並び称されるときが来たとしても、おかしくはないでしょう。
総生産台数は3000台強。生産開始は64年で、65年から販売がスタート。68年以降は後期型となり、69年に生産が終わりました。毎年のように改良が加えられたという事実も、スポーツカーらしいものですね。
西川淳の、この個体ここに注目! |
現オーナーが、つい最近まで楽しんできたという個体です。
それゆえ、フロントひんじ回りやドアのエッジなどに細かなひび割れや、前後バンパーの浮きサビ、ダッシュボードの縁割れなど、欠点も散見されますが、ペイントやゴム類が上々のコンディションを保っているためか、全体として見ればずいぶん雰囲気もよく、車体がきっちり引き締まってみえています。
陽の当たる場所に出してきても、見た目のすわりがとてもよろしい。スタンスがしっかりしているんですね。程度の悪いクラシックカーは、どこかバランスが悪く、走る準備が整っていないようで、とにかく運転したい気にさせないものです。その点、このヨタハチは、見た瞬間に、ちょっと乗ってみたいな、と思わせてくれました。
そのことは、インテリアの状態を見ていただいても、分かっていただけると思います。新車のよう、ではありません。けれども丁寧に使われてきたという空気感があります。特にハンドルとメーター類。雰囲気が死んでいませんね。つい最近まで、ちゃんと動いてきた証拠でしょう。
シャシー番号から判断するに、66年末に製造され、67年に登録となったようです。すなわち、前期型。岩5のシングルナンバーも魅力です。ぜひ、このナンバーを引き継げる方に乗って欲しいもの。
決して速くはありませんが、非常に乗りやすく、軽快なハンドリングが、現代のクルマにはない“走る歓び”を与えてくれることでしょう。
年式 | 1967年 |
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初年度 | 1967年 |
排気量 | 790cc |
走行距離 | 45,100km |
ミッション | 4MT |
ハンドル | 右 |
カラー | 赤 |
シャーシーNo | 1781 |
エンジンNo | 2U632705 |
車検 | |
出品地域 | 群馬県 |
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