フォルクスワーゲン・カルマン・ギアは、おそらく二度と可能にならない3社のコラボレートによって誕生したクルマでした。自動車メーカーのフォルクスワーゲン社は御存知のとおり健在ですが、残る2社は表舞台から姿を消してしまっているからです。車体の製造を担当したドイツのコーチビルダー、カルマン社は2009年に経営が破綻し、現在はフォルクスワーゲンの一部に。そしてデザインを担当したイタリアのカロッツェリア・ギアは、現在ではフォードの一部になっているのです。
このクルマの誕生に至るまでのストーリーには興味深いものがいくつもあるのですが、さすがにそれらを並べ立てるわけにはいきません。お話をシンプルにしてお伝えするならば、ビートルことタイプ1やワンボックス型のタイプ2と異なる上級パーソナルカーを模索していたフォルクスワーゲン、自社の名前を冠したクルマを作りたかったカルマン、イタリア国外との取引先であるギアという3社の望みが1台のクルマに集約された、とても幸せなカタチのコラボレーションだったといえるでしょう。しかもこの種のパーソナル・クーペ/カブリオレとしてはかなりの長期といえる19年間も生産が続けられ、44万台が送り出されたという、結構な成功作となったのですから。
クルマの構造としては、ビートル用のシンプルで堅牢なRRレイアウトのプラットフォームに丈夫な空冷フラット4エンジンというフォルクスワーゲンのコンポーネンツを使い、カロッツェリア・ギアがデザインしてカルマンが製造するボディと組み合わせたもの。1955年にクーペが、その2年後にカブリオレが発表されています。
それ以降、基本構造を変えることなく細かな年次改良のみを積み重ねて生産が続けられたわけですが、ざっくりと3つのジェネレーションに分けることができるでしょう。プロトタイプとほぼ同じノーズの低いシルエットを持つ、1956年モデルから1959年モデルまでの初期型。テールランプが小さく四角いことから“角テール”とも呼ばれています。そしてフロントフェンダーのラインが直線的になってヘッドランプの位置も高くなった、1960年モデルから1969年モデルまでの中期型。これは丸みを帯びたテールランプの形状から“三日月テール”と呼ばれます。もうひとつは、フロントのウインカーが四角い大型の横長タイプになった、1970年モデルから1974年モデルまでの後期型。テールランプがバックアップランプを内蔵して大幅に拡大されたことから“ビッグテール”と呼ばれています。
このうち角テールはコレクターズアイテムになっていることもあり、なかなか売り物が出てこないし、出てきても高額なことが多いようです。ビッグテールはディテールがモダンになっていることから、やや人気薄なところもあります。生産が長くて台数も多かったことから最も探しやすく、またクラシカルなディテールを保ってることから人気も高いのが、三日月テールの時代のクルマといえるでしょう。
ちなみに搭載エンジンは初期の頃は1.2リッターで、30馬力というパワーもビートルと全く同じ、そのうえ車重はビートルより50kg以上も重かったのに最高速度が5km/hほど伸びたのは、そのボディがビートルより空力に優れていたから、といえるでしょう。その後、エンジンは1966年式から1.3リッター、1967年式から1.5リッター、1970年式から1.6リッターと排気量を上げていきますが、スポーツカーとして見た場合、いずれも俊足といえるものではありませんでした。
が、カルマン・ギアを望んで手に入れようとした多くの人達は、その点をあまり気にしていなかったようです。何しろ最大の魅力は、愛らしい顔つきに低く構えた流麗といえる美しいフォルム。一部では“プアマンズ・ポルシェ”と揶揄されたりもしましたが、意外や重心高の低いビートルよりもさらに低い重心高とビートル同様のリアが重いRRの特性が生み出すハンドリングは、想像以上に楽しめる奥の深さを見せてくれるものでした。
そして、これは好みの分かれるところですが、フォルクスワーゲンのフラット4ユニットは、チューンナップをすると確実に速くなり、それこそポルシェ並みの加速力を手に入れた個体もありました。それも含め、まだ新車として販売されている頃からビートルと同じようにカスタマイズを楽しむマニアも少なくありませんでした。現在でもそうしたドレスアップやチューンナップのためのパーツは、豊富に流通しています。そのためオリジナリティを保った個体が他のヒストリックカーと較べると少ない、というのもカルマン・ギアのひとつの特徴といえるかも知れません。
嶋田智之の、この個体ここに注目! |
ここに紹介する個体は、三日月テールの中期型。後年になって日本に上陸したクルマなので正式な年式は伝わっていませんが、給油口がフロントフードの右脇に備わっているのは1968年モデル以降の特徴、その開閉のためのレバーがグローブボックスの下に設けられているのは1969年モデル以降の特徴であることから、1968年生産の1969年モデルではないかと思われます。
まずはマイナス・ポイントから見ていきましょう。左のヘッドランプの付け根、フロントフードの一部とその前側のパネルの一部に、軽いサビの盛り上がり。前後バンパーのメッキに部分的にザラつきとくもりが少々。右フロントフェンダーにタッチペイント跡と薄い凹み。右サイドシルとドア、リアフェンダーに軽い擦過傷。右ドア後方に薄い凹み。右ドアの内張りに少々タレとハミダシ。ドライバーズシートには糸目に沿っての破れとほつれ、その修復跡。……と、傷んでる部分を見つけることができます。
が、驚くことにこのクルマ、ドイツ本国で長らくひとりのオーナーの手元で暮らし、空冷フォルクスワーゲンのスペシャリストの手で日本に上陸して登録されてからはそこで保管され、2017年の冬から現オーナーのところにいる、事実上の2オーナー車両。現オーナーによればレストレーションは受けてないそうで、そのために購入時には相場よりも高価だったそう。
また傷んでいる部分や機能に関係ない経年劣化のある箇所などは全て現オーナーのところに来る以前からのもので、リアウインドーにはおそらく昔の販売店のものと思われるステッカー、右リアのサイドウインドーにもドイツ語のステッカーが貼られていて、それも以前からのもの。フロントフード内にウインドウォッシャーのタンクが新設されているのですが、ノーズの内側にある元々のタンクはその場に残されているし、その横には新車時からの古いジャッキが備わったまま。つまりドイツの最初のオーナーが乗っていたときのそのままの状態が、おそらく意図的に保たれているのです。それらも含めてこのクルマが積み重ねてきた歴史、ということなのでしょう。こういう個体はとっても貴重だと思うのです。
ボディの塗装にも色褪せなどはないし、ドアの開閉、フード類の閉まりなどは実にカッチリとしています。リアシートには使用感らしい使用感はありませんし、そのシートバックを前方に倒すと出現する荷室も、驚くほど綺麗な状態でした。ダッシュボード下の灰皿も可動状態にあるばかりか、古さは感じさせるものの綺麗な状態が保たれています。保管状態が素晴らしくよかったことが偲ばれます。路面に寝転んで下回りを覗いてみると、やっぱり綺麗な状態です。エンジンの始動も短いクランキングの後に一発だし、アイドリングも安定しています。機関はしっかりとメンテナンスを受けてきたのでしょう。つまり50年ほどの間、ものすごく大切に維持され続けてきた個体なのだと思えるのです。長い間クルマの世界にいると、どれほど見た目の上っ面を綺麗に装っていてもダメなクルマというのはそれとなく判るし、逆もまた然り。個人の感想だろ? といわれたら否定はしませんが、このクルマは観察しているうちにどんどん好感度が増していったのでした。
新車のときからの50年の時間の流れがそのまま刻まれているようなこの雰囲気を継承していくのもいいと思いますし、もちろん気になる部分に手を入れてビシッとした状態で乗るのもいいと思います。いずれにしても、このクルマを愛してきた人の“心”が解る方の手に渡るといいな、というのが素直な気持ちです。
年式 | 1969年 |
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初年度 | 1991年4月 |
排気量 | 1,493cc |
走行距離 | 30,884km |
ミッション | 4MT |
ハンドル | 左 |
カラー | グリーン |
シャーシーNo | 149043535 |
エンジンNo | |
車検 | 2019年12月 |
出品地域 | 東京都 |
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